◆ 映像の世紀「日米のプロパガンダ戦」を見て
先日、NHK+で「映像の世紀 バタフライエフェクト」を視聴しました。
『太平洋戦争 日米のプロパガンダ戦』の回です。
8月は太平洋戦争終戦の月で、戦争に関する番組が多く放送されます。
私も毎年、この月には戦争について意識せずにはいられません。
年を重ねるごとに、日本人として、地球人として、見て知っておかなければという思いも強くなるのですが、辛すぎて見られないことも多く、自分の弱さを痛感しています。
今回の番組は何とか最後まで見られましたが、それでも心に痛みを感じながらの視聴となりました。
私に限らず、人は見たくないものには目をつぶりがちですが、少しいい話だと、過剰に受け取ったりすることが多いものです。
例えば、オリンピックの金メダルシーンなどは何度も繰り返して見てしまいますし、選手の人格についても、良く知りもしないくせにイケメンや美人で「良い人」にしてしまいたくなるものです。
ニュースやラジオ、映画などで国民をあおり、戦争へ駆り立てていったプロパガンダですが、それはどの国でもあったようです。
情報を取捨選択できる力が弱い大衆に対して行われたわけですが、その背景の一つに人間の持つ、自分にとって都合の良い情報だけを知りたいという性質が利用していたというのもありますね。
もし私たちが本当に冷静で、バランスの取れた思考力を持っていれば、嘘を交えたニュースに必ずしも飛びつかないでしょうし、陽の裏には陰もあることを知っていれば疑問を持つことで行動を慎重にするでしょう。
◆プロパガンダに乗る気持ちよさ
みんなで一丸となって、一緒に同じ方向をみるというのはワクワクすることです。
同じ価値観を持つ仲間と一緒にいる楽しさは、日常の退屈さを一瞬で輝かせます。
自分の頭で考えなくても、刺激的な道を示してくれて、しかもそれをみんな共有できるというのは楽で快感なのです。
こう考えると、まだ経験値も少なく無知な子供で無い限り、プロパガンダに乗せられることを必ずしも被害者とは言えないんじゃないか、とも思えてきました。
実際に、三木清など、みんなが高揚している時にもそれに疑問を投げかけて、投獄されてしまう知識人たちもいたのです。
◆ 今の社会とプロパガンダ
そんなことを考えながら番組を見ていると、現代の会社と個人の関係、というか、資本主義そのものもよく似ている部分がある思いました。現代の仕組みがそうなっている以上、その渦に巻き込まれなければ、生きづらくなったり、はじき飛ばされたりするものです。
そうするものだからと一生懸命その渦の中で一緒に回っていたとしても、苦しさに耐えられない人もいれば、嬉々として回る人もいるでしょう。
会社の不祥事などはそれが行き過ぎた結果だと感じます。私のように濃密な関係が苦手で、一途になれないことを悩んでいる人間にとっては、なぜそこまでして、と疑問に思うこともありますが、そうしなければならない事情も(そう思い込んでいるのかもしれませんが)あるのかもしれません。
◆年を重ねると、考えも自由になってくる?
年齢を重ね、色々な義務や人からの称賛が気にならなくなると、本当に自由になりますね。とはいっても、何かあったら行動を起こすかと言えば、実際には怖くて守りに入ってしまうかもしれませんが。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉があります。全力で100%を目指さず、ましてや120%なんて目指さないで、少し我慢してでも70~80%のところで満足することができれば、食事も、睡眠も、適度な運動も、趣味や遊びも楽しむことができるでしょう。これこそが、それが生きるということのような気がします。
ただ、そんなことでは戦いに負けてしまうかもしれません。それに人間の欲望を抑えるのは何より難しいことであり、やはり学びながら自分を手なずけるしかないのでしょう。
◆死ぬまで、知ること、学ぶこと、考えることを続けたい
知ること、学ぶこと、考えることで辛い思いをすることがあっても、私はそれを続ける余裕を持ちたいと思います。本当のことを知りたいという欲求は死ぬまで止まらないだでしょうし、止めるつもりもありませんね。
ほんと、それが自由にできる今が一番自由で幸せということです!