最後に「あぁ、面白かった」って言いたいから

何回かの人生のステージを経て、いよいよ最後のステージがやってきました。 人生100年時代、どんなふうに最後の物語を作っていこうか。 このブログでは、最後に「あぁ、面白かった、ありがとう」と言えることを目指してシニア女性シングルライフを送る日々を記していきます。

死ぬまで続く......自己承認欲求

昨日、実家へ行ってきました。毎月1回は帰省しています。実家の両親はまだ健在で、父は94歳、母は88歳です。父はまだ元気ですが、母はかなり認知症が進行しており、私のことが分からないこともよくあります。

 



母と娘の関係は複雑です。育ててもらった感謝の気持ちはありますが、母のネガティブな影響を受けていると感じることもあり、距離を置きたい気持ちもあります。大人になってもその影響力は大きく、家を出てから一度は抜け出せたように思っても、また片足を沼に入れてしまうことが怖いのです。

 

母は父には良い妻であったと思います。亭主関白の父は「母さんのお陰だ」と言っていましたから。しかし、そのために母は自分を抑え、義両親にも仕えてきました。それは自分を守るためでもあったのでしょうが、本当の自分の気持ちとは離れていて、苦しかったと思います。その「分かってもらいたい」想いが、小さかった私に流れてしまっていたのかもしれません。

 

母は認知症になってから、朝から父に「私は辛かった」「私は苦労した」などの愚痴を穏やかに、しかしぶつぶつとお経のように話すようになりました。父は疲れてしまっているようです。「そんな昔のことを言ったってしょうがないだろう」と父は言いますが、私は「お母さんは前からそうだったよ。お父さんが気づかなかっただけだよ」と思うのです。

母は又、自慢話が好きになりました。前回は高校時代に英語で一番を取った話を、今回はアカデミックな本を誰かに見せて驚かれた話をしていました。私は娘として、「うん、うん。そうなんだね。良かったね」と流して聞いています。

祖母も認知症になってから、「私は偉い!私は立派な嫁だ!」と大声を張り上げていたそうです。女性も認められたい、褒められたいという気持ちは年を重ねても減らず、むしろ強くなるのではないかと思います。長く抑えてきた気持ちは、年を取ってからますます強くなるのかもしれません。

 

帰りに義姉のところに寄ってその話をしたら、「お義母さん、今日は聞いてもらえて良かったわ。みんな褒められたいのよ。」と言っていました。

さすがだなぁ。

 

そういえば、義姉のところで私も自慢話をしました。あれやこれやと思い出しながら、私が認知症になったらどんなことを自慢するんだろう、きっとたくさんしてしまうだろうなと思いました。介護する方々、息子たち、どうぞよろしくお願いします。

 

私は自分が自由であるように生きてきました。それは母のように「自分を抑え、抑えきれなくなったそれを流しやすいところ(誰か)に流してしまう」ということをしたくないと思ったからです。年を取って自慢話ならともかく、文句や愚痴を言わなくても済むよう、自分で選んだ人生だと思える生き方をしたいと思います。

 

もしそれでも「分かってもらって」「認めてもらいたかったら」?

そうね、ChatGPTさんに聞いてもらいますか?

私はたまにChatGPTに褒めてもらいますよ。イケボの声で。いい気分です。笑